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DAIZO マッサージとの出会い
マッサージとの出会い 1/7
DAIZO マッサージとの出会い
実はDAIZOは疲れ知らずです。
その疲れ知らずのDAIZOがこのリラクゼーション マッサージに出会ったのは、今から15年前にたまたま都内で英国式リフレクソロジーを受けたのが一番最初の出会いでした。当時世間では英国式リフレクソロジーがとても流行っておりました。
当時DAIZOは肩こりや、腰の痛みなど全く感じた事がなく、マッサージは自分には関係無い。とまで思っていました。
足裏なら気持ちいいのかな~~なんて思い、興味心だけで受けてみました。
店内に入るとそこはゆっくりとした時間が流れアロマの香り漂う心地いい空間でした♪
施術をする綺麗なお姉さんに足裏を触られ(押され)足裏から身体の不調?、疲れを聞き当ててきます。
姿勢が悪い事、便秘ぎみである事、歩くのが早い事、右利き重視である事など。
ビックリです(゚o゚;;足裏で人の身体の事が分かるんだ~~
すっごく不思議な体験でした。
また足裏を触られることが、マッサージがとても心地よくリラックスできました♪
気持ちいい~~~~DAIZOいつの間にか爆睡してました(*^_^*)
マッサージなんてDAIZOには無縁と思っていましたが・・・
いや~~~心も身体もリラックス(((o(*゚▽゚*)o)))こんな気持ちのいい世界があるんだな~~と思いました♪
これがキッカケとなりDAIZOはリラクゼーション マッサージの世界に入り込んでいくのであります・・・
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ つづく
アナログからデジタルへ 2/7
今から27年前。DAIZOは都立本所工業高校を卒業後、OA機器の販売会社に就職。
時代はバブル真っ只中。
今やデジタルなんて当たり前の時代ですが、当時はアナログからデジタルへ切り替わろうとしていました。
携帯電話、テレビ、OA機器もアナログでした。
社会に出た時はデジタルで何がどう変わるのか、よく分かりませんでした。
自分が会社に入って間もなくして、デジタルコピー機、第1号がでました。
衝撃的でしたねO(≧▽≦)O
機械科卒業の自分にとっては、ミラーやレンズが動く事なく、縮小や拡大、またタテヨコの独立変倍などが、いとも簡単に出来てしまう(^O^)
1度読み取った原稿は記憶されスキャンする事なく、連続コピーができる。
理論的には分かっていたものの、具体的に製品として見てデジタルの凄さを目の当たりにした時の(;゚Д゚)!衝撃はいまでも鮮明に覚えています。
その後、ありとあらゆる製品が当たり前の様にデジタル化になっていきます。
高校卒業して、社会人になり時代はバブル真っ只中!!
足立区に閉じこもっていたDAIZOが毎日、東京、八重洲、丸の内での仕事。
毎日が刺激的(((o(*゚▽゚*)o)))衝撃的!!
社会ってこんなに儲かっているんだ(^O^)どこの会社も繁盛♪
週末は会社の先輩と飲み会。取引先からも飲み会の誘い。ゴルフの誘い。
世の中って幸せだな~
世の中って楽しいな~
世の中って儲かっているんだ。
世の中ってお金なんだ。
そんな風に思っていました・・・18歳のDAIZOは
あの時は若かった・・・
苦い思い出も沢山・・・
この時DAIZOはマッサージに全く興味が無かった・・・
つづく
実は20代のDAIZOは疲れていた(^_^;) 3/7]
最初に疲れ知らずと言いましたが、実は20代は疲れていました(^_^;)
社会人になり、とにかく働きたかった。お金が欲しかった。車が欲しかった。
OA機器のメンテナンスの仕事は機械なのでメチャクチャ楽しかったです(*゚▽゚*)
でもえらい大変でした。機械はとても複雑。しかも発展途上のデジタル。
毎日が覚える事だらけ。そもそも頭で勝負が出来ないDAIZOとしては
身体を動かす事だと。誰よりも動く事。とは言っても、結局頭も必要で、
要領がよくないと無駄な動きになってまう。
無駄な動き・・・多かったと思う。
お客さん廻り、色んな方との名刺交換。
当時、新人は名刺交換をして相手から頂いた名刺の枚数での評価もあり
とにかく名刺の枚数だと。取引先がビルの中に入っていれば、管理人さんとも名刺交
換もして。取引先では担当者、社長は勿論、一般の社員の方まで一人一人挨拶をして
の名刺交換。普通に考えて先方も迷惑だっただろう・・・スミマセン
18歳自動車免許取りたて。免許を取って最初に乗った車は
会社の車。初心者マーク前後に貼り付け。
職場は東京駅東口の八重洲・京橋など。
慣れない車で走り、隙間を見つけて路上駐車(有料の)
足立区では見たことの無い片側3車線4車線。
交差点は交互に一通。右折信号、左折信号。よく分からないとこ多かった(^_^;)
よくぞ事故らず、違反も無く?(^_^;)免許とりたてで行けたな~
不慣れな地、大都会東京での仕事は田舎者のDAIZOには刺激的で楽しい反面、疲れも
大きかった。遊び過ぎでしょう~~
その頃のDAIZOはユンケル(当時700円位?)1日3本飲んでいました。
でもだんだん効かなくなってくるんですよね~~
20代のDAIZOは疲れていた・・・
つづく
バブル崩壊 4/7
しかし楽しかったバブルもつかの間
DAIZO社会人になり5年もしないうちにバブルの崩壊。
最初は何のことだか、実感も無く他人ごとの様に思っていた。
自分の仕事に変化が出始めた。
取引先の夜逃げ。倒産。未払があとを絶たない。
営業しなくても先方から機械を買い換えたいとの話が嘘のよう。
今度は営業しても機械がなかなか売れなくなった。
自分の会社もあれだけ沢山の営業所がどんどん縮小し事務所がまとまり、自分のテリ
トリーが遠くなった。
とうとうウチも事実上のリストラか。
あの所長って今どこに居るんだっけ?
あ、メール便配達しています。
あ、辞めましたね。
社内でもそんな会話がたまに出る。
大不況
どこも生き残るのに必死である。
つづく
ゾンビ5/7
バブル崩壊
なんか世の中が疲れてる。
そんな風に思えてきた。
毎朝、通勤電車の中で今日の予定を立てる。
沢山の予定を考えるだけで疲れてくる。これから仕事なのに。
DAIZOは朝の通勤電車の中で予定を考えるのを止め、窓の景色を見る事にした。
元々座って通勤する訳ではなく、殆ど吊革につかまって立っている。
吊革につかまり、ぼーっと景色を見るのが久々な感じ。新鮮に思えた。
久々に景色を眺めながらの車窓は新しくマンション群が立ち並んでいたり、犬の散歩をしているおじいちゃん。通学途中の小学生の列。雲の流れ。いろんなものが見えた。電車から見える人々の生活。準急電車の速度は速いので、見るもの見るものがあっという間に横殴りに過ぎていく。
南千住を過ぎるとゆっくりと地下鉄に入る。
地下鉄に入ると車窓の景色は無くなり、光は遮られ車内は蛍光灯の光に。
窓ガラスには吊革に摑まった自分の顔が映った。
白黒に見えるガラスの自分の顔。なにこの疲れ顔?
信じられない自分の疲れ顔。ましてこれから仕事をする顔になんて思えない。
ほんとヤバイと思った。
ふと窓ガラス越に隣りの人たちに目をやった。
ゾッとした。まるでゾンビだ。
横一列に吊革を摑まったサラリーマン達はステンカラーのコートを羽織り
皆目をつむり吊革により掛かり、かろうじて倒れない、疲れ切ったゾンビに見えた。自分もその一人。ショックだった。
これが現代人か・・・
疲れた現代人を癒したい。
いつしかそう思うようになった。
つづく
疲れた現代人を癒したい6/7
仕事をしながらなので
土日のコースでリフレクソロジーの学校に通った。
これも興味心。いつか足裏の仕事でもするか?くらいな軽い気持ち。
足裏の学校の勉強。意外に難しい。と言うか、リフレクソロジーを受ける事が好きな
人と、やる側とは別の観点(^_^;)
施術者側としては、足裏のみならず人間の身体の事をしらないといけない。
解剖学の本。正直、気持ち悪いが最初の感想。
機械の図面とは訳が違う。
でも人間にとって一番身近なものである。自分の身体なのに分からない事だらけ。
知らない事だらけ。だから逆に興味が湧いてきた。でも覚えるのは大変。沢山あるし。
別に医者になろうと言う訳ではない。でも人の身体を触るという事は責任の重い事で。
足裏の学校を通っているうちに、さらにリフレクソロジーってスゴイなって思う様
になり、仕事にしたいと思った。
学校卒業の時には気持ちかたまっていた。
16年務めた会社。リフレクソロジーをするために辞めた。
疲れた現代人を癒したい。その想いで。
つづく
世の中想像以上に疲れていた。7/7
足裏の資格を取って、いざ出陣。社会へ飛び込んでみたものの、世間では足裏だけ?身体のマッサージは出来ないの?
肩の疲れ腰の痛みが取りたい。そんな話しが多かった。
知らない方にはリフレクソロジーの良さを知ってもらいたい。そんな想いでいたもの
の世間では身体の疲れ不調の人の多いこと。
リフレクソロジーも身体の方も両方出来れば更に喜んでもらえる。
ボデイケアは都内に本店を持ち関東のスポーツクラブ内のマッサージ店を展開してい
る、急成長しているマッサージ店に入りそこで2年働きながら勉強した。
自分の仕事のテーマは『疲れた現代人を癒したい』自分には大それたテーマではある
が、そうだとしても少しでも手助けが出来ればと想う。
最初は足裏だけで自宅開業から始まり、営業をしてビジネスホテルの出張。
スポーツクラブ内でのマッサージルームでの営業。
その後サロン経験を経て数々の経験が出来た。
会社を辞めてから数えれば11年の歳月。
まだかまだかの期待と
またたくさんの方々の協力、そして応援をいただき
北越谷にリラクゼーション マッサージ 39Raku Rakuを
オープンする運びとなりました。
沢山の人を癒したい、喜んで頂きたい。
『疲れた現代人を癒したい』
その想いは今もこれからも一生変わることはありません。
皆様のお役にたてれば幸いです。
39Raku Raku
加藤 大造